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翻案の限界を考えていたら著作権法の深淵にはまりこんでしまった―BL同人誌事件評釈続論

坂田晃祐 坂田晃祐

はじめに

みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は徐々に忙しくなってきた1あくまで(当社比)であって、私の倍以上の時間働いている新人弁護士も当業界には存在します。おそろしいですね。のであたふたしたり目を回したりして過ごしております。

「同人作家の人に細々と読まれたらいいかな」ぐらいの気持ちで書いた前回の記事ですが、SNS強者のボスにツイートしていただいた結果、予想外の反響をいただき、

事務所サイトのサーバーが落ちてしまいました(事務所サイトが閲覧できなかった方々、ご迷惑をおかけし大変申し訳ございませんでした)。

このように様々な反響をいただいたのですが、何人かの方が以下のような疑問を口にされていました。

「絵→絵の場合の判断基準はわかったけど、絵→小説、小説→絵のような、表現形式が変わった場合はどうなるの?

実はこの問い、著作権法の深淵に踏み込む極めて危険な問いであり、到底新人弁護士が踏み込んで生きて帰ってこれる領域ではないのですが、先人も「若さってなんだ 振り向かないことさ」2「宇宙刑事ギャバン」OPの一節。主演は初期戦隊ヒーローを歴任した大葉健二氏。ちなみに私は挿入歌「チェイス!ギャバン」のイントロのトランペットが好きですね。と言っておることですし、ちょっと行ってみることにします。

翻案権(著作権法27条)について

著作権者は、翻案権(著作権法27条)という権利を有しています。短い条文なのでそのまま確認してみましょう(前回と違って条文が長くなくてやさしいですね)。

(翻訳権、翻案権等3ちょっとマニアックな話をしますが、27条の構造としては、「(翻訳し、編曲し、or変形し)or…脚色し、映画化し、その他翻案する権利」ですので、27条は翻訳権、編曲権、変形権及び翻案権という4つの権利を規定した条文であり、27条の権利を総称して「翻案権」と呼ぶのは不正確であると指摘されることがあります(島並・上野・横山『著作権法入門 第2版』165頁、上野達弘「著作権法における侵害要件の再構成(1)―「複製又は翻案」の問題性―」(知的財産法政策学研究 vol.41, pp33-77, 2013)等)。ただ、実際にはこれらの権利を総称して「翻案権」という言葉が使われることもままあります。

第27条 著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。

本条では、翻案の例として映画化が挙げられています。たとえば、漫画原作・小説原作の映画(いわゆる実写化)は、原作漫画・小説という著作物を翻案して、別の表現(著作物)である映画を作成している行為です。

このように、ざっくりと説明すると、「翻案」とは、「ある著作物を元にして、元の著作物の要素を残した別の著作物を作成する行為」ということができます。とはいえ、これはあくまで「ざっくり」の説明ですので、以下では判例・裁判例を参照しながらもう少し詳しく見ていくことにします。

判例・裁判例における翻案権

モンタージュ事件第一次最高裁判決(最判昭和55年3月28日民集34.3.244)

事案の概要

写真家白川義員氏が、オーストリアのサンクト・クリストフにおいて以下の写真を撮影しました。雪山から下りてくるスキーヤーたちの描くシュプールが印象的な写真です。この写真は反響を呼び、ある自動車保険会社のカレンダーの図柄として採用されました。

東京地判昭和41.11.20図表より引用 

アーティストのマッド・アマノ氏は、写真1のシュプールがタイヤ痕に似ていることから着想を得て、自動車保険会社のカレンダーの画像をトリミングし、山頂にタイヤをコラージュした以下の画像を作成して、自分の作品集に収録しました。アマノ氏は、人間・自然を蹂躙する自動車産業を風刺するために、自動車保険会社のカレンダーに用いられた写真を使ってコラージュ画像を作成したのだ、と主張しました4言われてみれば、スキーヤーがタイヤから逃げているようにも見えます。

東京地判昭和41.11.20図表より引用

白川氏は、アマノ氏の作成したコラージュ画像が、自己が撮影した写真の著作権(翻案権)及び同一性保持権5著作物を作った人には、著作権とは別に著作者人格権という権利があります。同一性保持権は著作者人格権の一種であり、意に反して著作物を改変されない権利として規定されています(著作権法20条)。を侵害するとして、アマノ氏を被告として訴えを提起しました。

アマノ氏側は、

①コラージュ画像を作成したのはあくまでパロディ・風刺目的であって、このような公益性のある目的で作成されたコラージュ画像は、白川氏の写真の節録引用(旧著作権法30条第二6現行著作権法32条1項に相当する規定です。)であって、白川氏の翻案権を侵害しない

②上記のようにコラージュ画像の作成目的が公益性のあるものである以上、著作者としてはパロディ・風刺目的で自己の著作物が改変されることは甘受すべきであって、同一性保持権の侵害は成立しない

③コラージュ画像は、白川氏の写真とは全く別個のメッセージ性を有しており、完全に別個の著作物となっている。したがって、コラージュ画像は、白川氏の写真の二次的著作物・改変物ではないから、翻案権侵害及び同一性保持権の侵害は成立しない

と反論しました。

本稿のテーマとの関係では、③が最も重要な主張です。アマノ氏は、「元の著作物とは別個のメッセージ性を有していれば、元の著作物の要素が残っているとは言えず、翻案にあたらない(+同一性保持権も侵害していない)」と主張しているわけです。

裁判所の判断

最高裁は、コラージュ画像における白川氏の写真の利用態様について、以下のように認定して、同一性保持権の侵害を肯定しました。

本件写真は、右のように本件モンタージユ写真に取り込み利用されているのであるが、利用されている本件写真の部分(以下「本件写真部分」という。)は、右改変の結果としてその外面的な表現形式の点において本件写真自体と同一ではなくなつたものの、本件写真の本質的な特徴を形成する雪の斜面を前記のようなシユプールを描いて滑降して来た六名のスキーヤーの部分及び山岳風景部分中、前者についてはその全部及び後者についてはなおその特徴をとどめるに足りる部分からなるものであるから、本件写真における表現形式上の本質的な特徴は、本件写真部分自体によつてもこれを感得することができるものである。そして、本件モンタージユ写真は、これを一瞥しただけで本件写真部分にスノータイヤの写真を付加することにより作成されたものであることを看取しうるものであるから、前記のようにシユプールを右タイヤの痕跡に見立て、シユプールの起点にあたる部分に巨大なスノータイヤ一個を配することによつて本件写真部分とタイヤとが相合して非現実的な世界を表現し、現実的な世界を表現する本件写真とは別個の思想、感情を表現するに至つているものであると見るとしても、なお本件モンタージユ写真から本件写真における本質的な特徴自体を直接感得することは十分できるものである。そうすると、本件写真の本質的な特徴は、本件写真部分が本件モンタージユ写真のなかに一体的に取り込み利用されている状態においてもそれ自体を直接感得しうるものであることが明らかであるから、被上告人のした前記のような本件写真の利用は、上告人が本件写真の著作者として保有する本件写真についての同一性保持権を侵害する改変であるといわなければならない。

本判決は、アマノ氏側の主張③に対応する形で論理を組み立てています。

本判決も、「本件写真部分とタイヤとが相合して非現実的な世界を表現し、現実的な世界を表現する本件写真とは別個の思想、感情を表現するに至つているものであると見るとしても」として、コラージュ写真が、白川氏の写真とは別個のメッセージ性を有している事自体は肯定しているようです。

しかしながら、別個のメッセージ性を有しているとしても、コラージュ写真を見れば、白川氏の写真の「本質的な特徴自体を直接感得することは十分できる」として、コラージュ写真は白川氏の写真の同一性保持権を侵害すると判断しました。本判決は、翻案権侵害の結論については明示せず、事件を東京高裁に差し戻しています7「もう一度判断せよ」と下級審の裁判所に突き返すことをいいます。が、東京高裁(第二次控訴審)では著作財産権に対する侵害が肯定され、第二次上告審でもこの判断が確定しています。

ここから、本判決(及び後続する第二次控訴審・第二次上告審)は、「翻案」=「元の著作物の本質的な特徴自体を直接感得できる形で、別個の著作物を作成する行為」であると考えていることが読み取れます。

しかし、「本質的な特徴」とは一体何なのかについては言及がなく、元の著作物のどのような要素が「本質的な特徴」にあたるのかについてははっきりしないままでした。ここに一応の決着をつけたのが、次の江差追分事件最高裁判決です。

江差追分事件最高裁判決(最判平成13年6月28日民集55.4.837)

事案の概要

作家の木内宏氏が執筆した、北海道の民謡「江差追分」に関するノンフィクション「北の波濤に唄う」には、以下のような一節を含むプロローグ(以下、「本件プロローグ」といいます。)がありました。本件プロローグは、江差町の過去と現在の状況8かつてはニシン漁で栄え、「江戸にもない」と評されたものの、ニシンが去った現在ではその面影がないことが判決文で認定されています。を紹介したうえで、9月に行われる「江差追分全国大会」を、昔の栄華が蘇った絶頂の時として表現したものです9町民の認識としては、8月の姥神神社の夏祭りが「1年で最も賑わう行事」であり、江差追分全国大会ではないことが認定されています。この点があとでちょっとだけ関わってきます。

その江差が、九月の二日間だけ、とつぜん幻のようにはなやかな一年の絶頂を迎える。日本じゅうの追分自慢を一堂に集めて、江差追分全国大会が開かれるのだ。

日本放送協会(NHK)は、「北の波濤に唄う」を参考にして、「ほっかいどうスペシャル・遥かなるユーラシアの歌声―江差追分のルーツを求めて―」という番組を作成し、平成2年10月18日に放送しました。同番組の冒頭のナレーション(以下、「本件ナレーション」といいます。)は、以下のようなものでした。

九月、その江差が、年に一度、かっての賑いを取り戻します。民謡、江差追分の全国大会が開かれるのです。大会の三日間、町は一気に活気づきます。

木内氏は、上記ナレーションが、「北の波濤に唄う」の著作権(翻案権)を侵害しているとして、NHKに対し損害賠償を請求しました。

裁判所の判断

本判決は、まず以下のような一般論を述べます。

言語の著作物の翻案(著作権法27条)とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。

そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号参照),既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案には当たらないと解するのが相当である。

まず、翻案の定義の中の「本質的特徴」は、「表現上の本質的特徴」に限られることが明確化されました。

また、わざわざモンタージュ事件の定義を変更して「表現上の」と追加したということは、表現上の特徴とそうでない特徴があることになります。それを説明しているのが次の段落です。
すなわち、後発の著作物が、事実としては先行著作物を参考にしており、似ている部分があったとしても、
①似ている部分が、表現の背景となる思想、感情、アイデア、事実、事件など、表現それ自体でない部分である
②似ている部分が、創作性のない部分である
場合には、翻案権侵害が成立しないとしました。

この説明の裏を返すと、「表現上の本質的特徴」とは、①’表現それ自体であって、②’創作性のある部分である、ということができます。

そして、本件ナレーションが、本件プロローグの翻案権を侵害するかについて、以下のように判示しました。

これを本件についてみると,本件プロローグと本件ナレーションとは,江差町がかつてニシン漁で栄え,そのにぎわいが「江戸にもない」といわれた豊かな町であったこと,現在ではニシンが去ってその面影はないこと,江差町では9月に江差追分全国大会が開かれ,年に1度,かつてのにぎわいを取り戻し,町は一気に活気づくことを表現している点及びその表現の順序において共通し,同一性がある。しかし,本件ナレーションが本件プロローグと同一性を有する部分のうち,江差町がかつてニシン漁で栄え,そのにぎわいが「江戸にもない」といわれた豊かな町であったこと,現在ではニシンが去ってその面影はないことは,一般的知見に属し,江差町の紹介としてありふれた事実であって,表現それ自体ではない部分において同一性が認められるにすぎない。また,現在の江差町が最もにぎわうのが江差追分全国大会の時であるとすることが江差町民の一般的な考え方とは異なるもので被上告人に特有の認識ないしアイデアであるとしても,その認識自体は著作権法上保護されるべき表現とはいえず,これと同じ認識を表明することが著作権法上禁止されるいわれはなく,本件ナレーションにおいて,上告人らが被上告人の認識と同じ認識の上に立って,江差町では9月に江差追分全国大会が開かれ,年に1度,かつてのにぎわいを取り戻し,町は一気に活気づくと表現したことにより,本件プロローグと表現それ自体でない部分において同一性が認められることになったにすぎず,具体的な表現においても両者は異なったものとなっている。さらに,本件ナレーションの運び方は,本件プロローグの骨格を成す事項の記述順序と同一ではあるが,その記述順序自体は独創的なものとはいい難く,表現上の創作性が認められない部分において同一性を有するにすぎない。しかも,上記各部分から構成される本件ナレーション全体をみても,その量は本件プロローグに比べて格段に短く,上告人らが創作した影像を背景として放送されたのであるから,これに接する者が本件プロローグの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないというべきである。
 したがって,本件ナレーションは,本件著作物に依拠して創作されたものであるが,本件プロローグと同一性を有する部分は,表現それ自体ではない部分又は表現上の創作性がない部分であって,本件ナレーションの表現から本件プロローグの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないから,本件プロローグを翻案したものとはいえない。

判決は、本件プロローグと本件ナレーションの共通点を洗い出します。すなわち、

  • 江差町がかつてニシン漁で栄え、そのにぎわいが「江戸にもない」といわれた豊かな町であったこと、現在ではニシンが去ってその面影はないこと
  • 現在の江差町が最もにぎわうのが江差追分全国大会の時である、という一般的でない認識
  • 具体的な表現の記載の順序

が本件プロローグと本件ナレーションの共通点です。そして、

  • 江差町の栄枯盛衰はありふれた事実であって、表現それ自体ではない
  • 現在の江差町が最もにぎわうのが江差追分全国大会の時である、という認識に独創性があることは認められるが、これは表現の背景となったアイデアにすぎず、表現それ自体ではない
  • 具体的な表現の記載の順序が同一ではあるが、この順序には創作性がない

として、本件ナレーションからは本件プロローグの本質的特徴を感得できない=翻案権侵害ではない、と結論づけました。

表現方式が異なった場合の具体的判断の例

上記の例は、いずれも表現形式が異ならない場合(モンタージュ事件は写真→写真、江差追分事件は言語→言語)でしたが、一般的な基準として紹介させていただきました(大学の講義等でも必ず扱われる判例です)。

ここからは、表現形式が異なった場合の具体的な判断を示した裁判例について見ていきます。

悪妻物語?事件(東京地判平成5年8月30日、東京高判平成8年4月16日)

事案の概要

編集者・フェミニズム運動家である田中喜美子氏(主婦の投稿誌「わいふ」の編集長として著名)は、「目覚め」と題するルポルタージュを含む5編の読み物を創作し、「妻たちはガラスの靴を脱ぐ」という書籍にまとめました。
「目覚め」のあらすじは、以下のようなものです10判決文では、「①日本のサラリーマンには、終身雇用、年功序列の体系の中で、単身赴任を含む転勤命令を絶対至上のものとして受け止めてしまう体質があるが、このような体質は企業側の社員支配を必要以上に増幅させてしまう、②単身赴任は、これを夫婦の問題として捉えると、夫婦を別離させる極めて非人間的なものである、という原告の基本的な思想を具体的に表現したものである」と端的かつ適格な要約がされています。

①サウジアラビアへの海外単身赴任を命じられた男の妻である主人公「章子」は、夫に同行したいと考えたが、会社の事情で許されない。
②章子は、同行を実現させようと努力し、会社が主張する同行が認められない理由について、自分の手で調査して反論していく。
③単身赴任の前例が覆されることをおそれた会社は、夫を帰国させる。
④夫は、章子の行動により自己の出世が危ぶまれると感じ、章子と夫の間に亀裂が生じる。
⑤章子は外に働きに出ることになり、夫が負っている仕事上の責任の重さを痛感するが、同時に、自分にばかり家事をさせようとする夫の姿勢に矛盾を感じていく。
⑥章子は夫と離婚し、新たなパートナーとの生活に入る。章子は、前の夫との結婚生活は「眠り」であったと述懐する。

テレビドラマ制作会社であるIVSテレビ制作株式会社のプロデューサーAは、「目覚め」に感銘を受け、女性の自立をテーマとしたドラマの原作として「目覚め」を使用したいと考えました。

しかし、放映元であるテレビ東京との協議を重ねた結果、「目覚め」をこのままドラマ化したとしても、ターゲット層である主婦層の共感を得られないとの結論に至ったことから、以下のように内容を変更したテレビドラマ「悪妻物語? 夫はどこにも行かせない!海外単身赴任を阻止せよ」を制作しました。

①~④及び章子が働きに出る点は、「目覚め」と共通。しかし、その後は、
⑤’章子は外に働きに出て、自分が夫婦愛・夫との同居にこだわりすぎた未熟な妻であったことを後悔する。
⑥’章子は夫に謝り、夫の留守宅を守り自分の生活を見出したことに喜びを感じる。

田中氏は、「悪妻物語?」はその経緯11IVSからのドラマ化の打診があったこと、テレビ東京の反発にあい内容の変更を余儀なくされたこと、内容が変更されたドラマを見た田中氏が最終的にドラマ化の許諾をせず、クレジット表記も拒絶したこと等が認定されています。からして「目覚め」に依拠して作成されたものであるところ、「目覚め」のテーマである女性の自立が「悪妻物語?」では全く表現されておらず、主題が蔑ろにされているとして、翻案権及び放送権侵害・氏名表示権及び同一性保持権侵害を理由として、IVS及びテレビ東京に対して損害賠償を求める訴えを提起しました。

裁判所の判断

「目覚め」と「悪妻物語?」では、いわば話のオチである部分が決定的に異なっているわけですが、「表現上の本質的特徴」が感得できるといえるのでしょうか。

裁判所は、以下のように判示し、翻案権侵害を肯定しました。

原告著作物12「目覚め」を指します。と本件テレビドラマは、主人公の夫が帰国するまでの前半の基本的ストーリーが極めて類似していることは明らかである。
また、…原告著作物と本件テレビドラマとは、…主人公の名前、夫婦の間の子どもの有無、共働きかどうか、夫の勤務先、夫の転勤先、主人公のキャラクター、夫のキャラクターも極めて類似していること、…単身赴任についての問題提起、単身赴任命令に対する妻(主人公)の問題意識、海外転勤に妻を同行させない会社の事情、同行できないことを知った妻(主人公)の対応、妻(主人公)の行動、妻(主人公)のサウジアラビア行きの可能性を知った会社の対応等についての前半のストーリーの細部も類似しており、その表現の具体的な文言までが共通している部分もあることが認められる。

他方、…原告著作物と本件テレビドラマは、主人公の夫が帰国して後の後半の基本的ストーリーは、原告著作物が、…章子が就職したことが直接的なきっかけとなって、章子夫婦は離婚し、章子は、章子の新しい生き方を尊重する男性と再婚するのに対し、本件テレビドラマでは、…章子と夫との間に溝ができかけるが、章子はよい妻になろうと決意し、夫の単身赴任先に同行しようと大騒ぎしたことを夫に謝って夫婦は和解し、夫は再度単身赴任するというもので、大きく異なっている。また、本件テレビドラマには、原告著作物には登場しない、主人公の社宅の隣人の美貴夫婦、主人公の学生時代の先輩玲子等が登場する点でもストーリーが異なっている。

右のような相違点にもかかわらず、前記の類似点、共通点を考慮すれば、原告著作物を読んだことのある一般人が本件テレビドラマを視聴すれば、本件テレビドラマは、原告著作物をテレビドラマ化したもので、テレビドラマ化にあたり、夫の帰国以後のストーリーを変えたものと容易に認識できる程度に、前半の基本的ストーリー、主人公夫婦の設定、細かいストーリーとその具体的表現が共通でありあるいは類似しているものというべきである。
…原告著作物と本件テレビドラマに右のような共通点、類似点があるのは、被告IVSが、原告著作物を含む原告書籍中の作品を読んで、高く評価して、これを忠実にテレビドラマ化したいと考えたが、テレビ局に受け入れられず、視聴者の反発を受けない程度の内容に変更することとし、脚本家と被告IVSの制作の意図の説明、原告著作物を素材の一部として使用すること等の打合せを経て完成された脚本に基づいて本件テレビドラマが制作されたためであることが認められる。
以上の事実によれば、本件テレビドラマは、原告著作物に依拠してされた原告著作物の翻案と認められ、本件テレビドラマの制作は原告著作物について原告の有する翻案権を侵害するものである。

本判決では、小説(言語の著作物)→ドラマ(映画の著作物)と変更された場合の具体的表現の類似について、以下のような要素を考慮しています。

  • 前半部分の基本的なストーリーの類似
  • 登場人物の設定の類似
  • 細部のストーリーとその具体的表現13具体的には、 ①夫のサウジアラビアへの2年間の単身赴任が決定したが、会社が章子の同行を許さなかったこと②会社側が「夫には男子寮での共同生活をしてもらうことになり、章子さんが同居する余地はない」「サウジアラビアは危険な国で女性が一人で暮らせるところではない」と説明したこと③章子が調査したところ、サウジアラビアは中東の中でも極めて治安が良く、総合商社等ではむしろ妻子とともに長期赴任するのが当たり前であることが判明したこと④章子が住めるアパートも確保できる目処がついたこと⑤サウジアラビアがイスラム教国であるため、女性単身での渡航許可が降りない可能性があったが、書類上の操作で入国できる目処もついたこと⑥前例が覆ることをおそれた会社が夫を帰国させたことが共通すると認定されています。

江差追分事件判決の理論(表現上の本質的特徴を感得できることを要する)からは、基本的ストーリー・登場人物の設定の類似については「表現上の」本質的特徴ではないとされる可能性が否定できません。

しかし、細部のストーリー・具体的表現を検討している部分については、現在もなお先例的価値があるといえます。すなわち、表現方式が異なる場合であっても、細部のストーリーの流れや、具体的な表現(ストーリーの共通性にとどまらず、セリフ・情景描写等も含まれるでしょう)が共通している場合は、翻案とされる可能性が十分にある(表現上の本質的特徴が感得できる)と考えます。

…ここで終わればギリギリ深淵には踏み込まずに済むのですが、せっかくここまで来たので行ってみることにします。

発展―「表現上の本質的特徴」とは何か

アイデアと表現の区別

江差追分事件から、「翻案権侵害=元の著作物の表現上の本質的な特徴自体を直接感得できる形で、別個の著作物を作成する行為」であることが明らかになったわけですが、「表現上の本質的特徴」って何のことだかわからないと思いませんか?

江差追分事件判決をもう一度見てみると、判決は「表現それ自体」と「事実、事実認識、アイデア」を注意深く区別していることがわかります。「表現上の本質的特徴」とは、あくまで具体的表現に現れている特徴であって、背景となる事実、アイデアは含まれないと考えているのです。

前回と同じ例で恐縮ですが、ワンピースのモンキー・D・ルフィを思い浮かべてください。
ここでの「具体的表現」とは、尾田栄一郎先生が漫画の一コマに描いたルフィであり、アニメスタッフがアニメの1コマに描いたルフィです。
他方で、「赤いジャケットを着て、麦わら帽子をかぶっている短髪の男性である」「麦わら帽子は幼少期の恩人から預かったものである」「体がゴムのように伸びるという特殊能力を有している」…14ここにはみなさんが好きなルフィの能力・特徴を入れておいてください。ちなみに私はギア2(セカンド)です。それまで基本的にゴムゴムの実の能力だけで戦ってきた主人公に満を持して与えられた必殺技って感じがしていいですね。というのは、表現の背景となる尾田栄一郎先生のアイデアにすぎず、具体的な表現ではありません。仮に上記特徴をすべて備えており、しかし見た目はルフィとはぜんぜん違うキャラクターが世に出たとして、みなさんは「ルフィのパクりだなあ」と思うこと必定だと思いますが、著作権侵害となるかどうかは別の話だ、ということです。

具体例があった方がわかりやすいかと思いますので、イラストを交えてお話します。

このイラストは、上記の特徴をすべて兼ね備えています15麦わら帽子は恩人から預かったということにしておいてください。が、おそらくほぼ100%の人がルフィには似ていないと答えるのではないかと思います。「アイデアと表現は別問題」ということがわかりやすくなったのではないでしょうか。ちなみに、本イラストの著作者及び著作権者は私ですので、利用されたい方は私までご一報ください。

それでは、アイデアと表現をどう区別するのか

どうやらアイデアと表現を区別するらしいということがわかったところで、「じゃあどうやって区別するの?」という話に移ります。そろそろ奥深いところに潜りすぎて酸素が薄くなってきました。

さっきの例の「赤いジャケットを着て、麦わら帽子をかぶっている短髪の男性である」について考えてみましょう。先程私はこれをアイデアだと言いましたが、「赤いジャケット」「麦わら帽子」はキャラクターの見た目にダイレクトに関わっている要素です。「これって具体的表現じゃないの?」と思う方がいらっしゃると思いますが、全く健全な感覚です。

私がこれをアイデアだと分類した背景には、「『赤いジャケットを着て、麦わら帽子をかぶっている短髪の男性である』という表現に著作権を与えていいのか」という発想が背景にあります。

「与えていいのかってどういうこと?著作権って登録とかしなくても発生するんじゃないの?」と思われた方、そのとおりです。現在、ほとんどの国で著作権は登録なしに発生し保護されます(無方式主義)。言い換えれば、著作権は割と簡単に成立してしまうということです。
そして、著作権はいったん成立すると極めて長い期間権利が持続し(個人著作物であれば著作者の死後70年、団体名義著作物であれば公表後70年)、その権利の内容も、「同一表現を他者に行わせない」という強力な権利です。

「赤いジャケットを着て、麦わら帽子をかぶっている短髪の男性である」という表現に著作権が発生するとすると、他の人は「赤いジャケットを着た麦わら帽子をかぶっている短髪の男性」という表現を、著作権者の許可なしにはできないことになります。他の人は、「赤いジャケットを着た麦わら帽子をかぶっている短髪の男性」を、書きたく・描きたくても書けない・描けないわけです。

…でも、これってなんかやりすぎだと思いませんか?正直、「赤いジャケットを着た麦わら帽子をかぶっている短髪の男性」なんて、ジャケットのデザイン(テーラードジャケットなのかチョッキ的なものなのかライダースなのかダウンなのか)とか、麦わら帽子のデザインとか、髪型(短髪でも、スポーツ刈りなのかツーブロックなのか坊主なのか五厘なのかパーマなのかとか色々ありますよね)とか、無数に思いつくじゃないですか。これ全部ダメとなると大変なことになっちゃいますよね。

この「やりすぎな気がする」を法的な言葉に翻訳すると、江差追分事件の表現のような、「本部分は創作性のない部分にすぎず、表現上の本質的特徴とはいえない」「本部分は表現の背景となる思想・アイデアそれ自体にすぎず、表現上の本質的特徴とはいえない」というおかたいワードチョイスになるわけです。

そして、どこまでを「やりすぎな気がする」と判断するかは、人により異なります16この意味で、「翻案権侵害を法が認めている以上、アイデアと表現を明確に峻別することは困難である。事実上、アイデアらしきものを保護していると言わざるを得ない」という指摘が度々されます(中山信弘『著作権法 第3版』187-188頁、小倉秀夫・金井重彦編著『著作権法コンメンタール 改訂版 Ⅰ』576頁[金井重彦]、柴野相雄・稲垣勝之「著作権法のフロンティア 第2回 翻案権」(ジュリスト1450号74-81頁)等)。上記の例を「表現上の本質的特徴」だと考える法律家はおそらくそんなにはいないと思いますが、具体的事例ではかなり微妙なものもあります。

「悪妻物語?」事件はどうでしょうか。単なる表現の背景となる思想・アイデアの模倣にすぎないのか、それとも表現上の本質的特徴を感得できる事案なのか17具体的な事例をもっと見たいという方は、釣りゲータウン事件(知財高判平24.8.8判時2165号42頁)、武蔵事件(知財高判平17.6.14判時1911.138)等の判決文を読んでみても面白いと思います。。皆さんはどう思われますか?

おわりに

冒頭の疑問、「絵→小説、小説→絵のような、表現形式が変わった場合はどうなるの?」への答えですが、「一般的基準はあるものの、現物を見てみないとなんとも言えません」というのが答えになります。表現形式が変わった場合に共通している要素が「表現上の本質的特徴」であるかどうかの判断は、具体的な表現を前提にしなければ到底判断できないからです。

翻案権侵害になるかはケース・バイ・ケースで、ご相談をいただいた際には毎回死ぬほど悩みます。「そんなに簡単な話じゃないんだなあ…」ということだけわかっていただければもう100点満点です。

本記事のテーマに関連して他にも書きたいこと18いわゆるパロディ・風刺のような場合には、著作権の行使を制限すべきではないのか(モンタージュ事件でアマノ氏側が行った②の主張と同じような視点です)という点や、いわゆるフェアユース規定を日本でも認めるべきではないのか(実は、フェアユースの導入が日本で真面目に議論された時期があったのですが、いつの間にか立ち消えになっていました)という点や、翻案権の限界についての個別事例の検討(特にみずみずしいスイカ事件高裁判決)や、いわゆるありふれた表現論などです。はあるのですが、本筋とはズレてきてしまいますので、またの機会とさせていただきたく存じます。

  • 1
    あくまで(当社比)であって、私の倍以上の時間働いている新人弁護士も当業界には存在します。おそろしいですね。
  • 2
    「宇宙刑事ギャバン」OPの一節。主演は初期戦隊ヒーローを歴任した大葉健二氏。ちなみに私は挿入歌「チェイス!ギャバン」のイントロのトランペットが好きですね。
  • 3
    ちょっとマニアックな話をしますが、27条の構造としては、「(翻訳し、編曲し、or変形し)or…脚色し、映画化し、その他翻案する権利」ですので、27条は翻訳権、編曲権、変形権及び翻案権という4つの権利を規定した条文であり、27条の権利を総称して「翻案権」と呼ぶのは不正確であると指摘されることがあります(島並・上野・横山『著作権法入門 第2版』165頁、上野達弘「著作権法における侵害要件の再構成(1)―「複製又は翻案」の問題性―」(知的財産法政策学研究 vol.41, pp33-77, 2013)等)。ただ、実際にはこれらの権利を総称して「翻案権」という言葉が使われることもままあります。
  • 4
    言われてみれば、スキーヤーがタイヤから逃げているようにも見えます。
  • 5
    著作物を作った人には、著作権とは別に著作者人格権という権利があります。同一性保持権は著作者人格権の一種であり、意に反して著作物を改変されない権利として規定されています(著作権法20条)。
  • 6
    現行著作権法32条1項に相当する規定です。
  • 7
    「もう一度判断せよ」と下級審の裁判所に突き返すことをいいます。
  • 8
    かつてはニシン漁で栄え、「江戸にもない」と評されたものの、ニシンが去った現在ではその面影がないことが判決文で認定されています。
  • 9
    町民の認識としては、8月の姥神神社の夏祭りが「1年で最も賑わう行事」であり、江差追分全国大会ではないことが認定されています。この点があとでちょっとだけ関わってきます。
  • 10
    判決文では、「①日本のサラリーマンには、終身雇用、年功序列の体系の中で、単身赴任を含む転勤命令を絶対至上のものとして受け止めてしまう体質があるが、このような体質は企業側の社員支配を必要以上に増幅させてしまう、②単身赴任は、これを夫婦の問題として捉えると、夫婦を別離させる極めて非人間的なものである、という原告の基本的な思想を具体的に表現したものである」と端的かつ適格な要約がされています。
  • 11
    IVSからのドラマ化の打診があったこと、テレビ東京の反発にあい内容の変更を余儀なくされたこと、内容が変更されたドラマを見た田中氏が最終的にドラマ化の許諾をせず、クレジット表記も拒絶したこと等が認定されています。
  • 12
    「目覚め」を指します。
  • 13
    具体的には、 ①夫のサウジアラビアへの2年間の単身赴任が決定したが、会社が章子の同行を許さなかったこと②会社側が「夫には男子寮での共同生活をしてもらうことになり、章子さんが同居する余地はない」「サウジアラビアは危険な国で女性が一人で暮らせるところではない」と説明したこと③章子が調査したところ、サウジアラビアは中東の中でも極めて治安が良く、総合商社等ではむしろ妻子とともに長期赴任するのが当たり前であることが判明したこと④章子が住めるアパートも確保できる目処がついたこと⑤サウジアラビアがイスラム教国であるため、女性単身での渡航許可が降りない可能性があったが、書類上の操作で入国できる目処もついたこと⑥前例が覆ることをおそれた会社が夫を帰国させたことが共通すると認定されています。
  • 14
    ここにはみなさんが好きなルフィの能力・特徴を入れておいてください。ちなみに私はギア2(セカンド)です。それまで基本的にゴムゴムの実の能力だけで戦ってきた主人公に満を持して与えられた必殺技って感じがしていいですね。
  • 15
    麦わら帽子は恩人から預かったということにしておいてください。
  • 16
    この意味で、「翻案権侵害を法が認めている以上、アイデアと表現を明確に峻別することは困難である。事実上、アイデアらしきものを保護していると言わざるを得ない」という指摘が度々されます(中山信弘『著作権法 第3版』187-188頁、小倉秀夫・金井重彦編著『著作権法コンメンタール 改訂版 Ⅰ』576頁[金井重彦]、柴野相雄・稲垣勝之「著作権法のフロンティア 第2回 翻案権」(ジュリスト1450号74-81頁)等)
  • 17
    具体的な事例をもっと見たいという方は、釣りゲータウン事件(知財高判平24.8.8判時2165号42頁)、武蔵事件(知財高判平17.6.14判時1911.138)等の判決文を読んでみても面白いと思います。
  • 18
    いわゆるパロディ・風刺のような場合には、著作権の行使を制限すべきではないのか(モンタージュ事件でアマノ氏側が行った②の主張と同じような視点です)という点や、いわゆるフェアユース規定を日本でも認めるべきではないのか(実は、フェアユースの導入が日本で真面目に議論された時期があったのですが、いつの間にか立ち消えになっていました)という点や、翻案権の限界についての個別事例の検討(特にみずみずしいスイカ事件高裁判決)や、いわゆるありふれた表現論などです。

弁護士坂田晃祐