弁護士の日常
海外に行ってみるメリットを3つ挙げてみる
■2014年11月、香港で開催された和僑会世界大会に出席してきました。
和僑会とは、海外で仕事をする日本人によるコミュニティで、2013年バンコク大会から参加させてもらっています。
私は海外相続に関する仕事をやっているので、米国と東アジアを中心に海外に出張する機会があります。
そんな私が考える、海外に行ってみるメリットについて3つ挙げてみます。
1 日本の良さが実感できる
2 常識の枠をとっぱらえる
3 「空気を読め」の無力さが分かる
■1 日本の良さが実感できる
日本にいると当たり前のことが、海外に出るといかに有り難いものだったか分かります。
水道水が飲める。
24時間コンビニが開いている。
実は結構自然に溢れている。
何より治安がよい。
海外では、自販機がない国が多くあります(壊されて中身を持って行かれる)。夜に車を運転中、赤信号でもなるべく停車しない方がよい国もあります(停車したら襲われる)
外国に出ないと、日本の当たり前の有難さが分からない。帰国後に関空で食べるカツ丼の美味さは尋常ではありません。
■2 常識の枠をとっぱらえる
15年前、バックパッカーをしていました。当初は半年で世界各国を回ろうと気合を入れていたのですが、途中、タイのバンコクで出会ったマンションが
- 25mプール付
- フィットネスジム付
- 食事のルームサービス有(一食60円ぐらい)
- NHK見れる
で、家賃は月15,000円(5000バーツ)。このマンションの居心地の良さ&激安さに見事に沈没、気がつけば現地のサッカーチームにまで加入し、半年弱もバンコクで滞在(沈没)しました。
日本では考えられないことに、海外では容易に出会えます。
■3「空気を読め」の無力さが分かる
「日本人は英語が話せない」と言われますが、あれは半分正しく、半分間違いです。外国語を話すのが苦手なのではなく、そもそも言葉ですべてを伝えようとする文化ではないと考えます。
日本には、言葉以外の非言語コミュニケーションを大事にする習慣があります。
「阿吽(あうん)の呼吸」に代表されるように日本人は空気を読む民族と言われますが、あれはお互いの文化、教育、知識、経験などがそれなりに似通っているからこそ通用するわけです。
「共通した考え方や価値観をもっているだろう」との推定が働くからこそ、互いが互いの空気を読むこと、共通の常識の床に立っていることを期待するわけですね。
このような互いの言語や価値観が似通っている状態を「ハイコンテクスト」といいます。
ハイコンテクストな関係であれば、お互いに言葉を交わさずとも伝わるし通じ合えるし、なにより楽です。
ただハイコンテクストすぎる社会は、ときに「みな同じでないといけない」という同調圧力が強い文化に転化します。
変わったことをしてはいけない。近所の目を気にする。
これらはひとえに、ハイコンテクストに偏った社会の功罪でしょう。
■これに対して、たとえばアメリカなどの多民族・多国籍な社会ではそもそもの母国語が異なるし、宗教も違う場合が多いため、コミュニケーションの土台とできる共通分野が少ないと言えます。
このような互いの言語や価値観の共通項が少ない状態を「ローコンテクスト」といいます。
ローコンテクストな社会では「言わなくてもわかってよ、気づいてよ」などと言ってられません。お互いの下地が違う以上、言葉にして伝えないと分からないのです。
日本にいて、仲の良い友達とばかり遊んでいて、ずっと実家にいたりすると、もう極限にハイコンテクスト。言わなくても分かり合える、空気を読み合える居心地の良い空間。
これが海外で過ごしてみると、そうはいかない。言葉にしてきちんと言わないと、伝わらないんです。
「ハイコンテクストに甘えない精神」が育まれる。これが海外に行けとすすめる、最大の理由かもしれません。
普段のハイコンテクストな仲間や家族に感謝しつつ、ローコンテクストな世界に飛び込む勇気も忘れずにいたいものなのでした。
(2014.12.15追記)
米国シスコシステムズでエンジニアをされている大西正之さんからコメントを頂きました。
海外には僕も含め、日本国内では微妙に浮いとったであろう日本人が多いですね。
ただし、その国の言葉で細かい意思疎通が出来る様になると、価値観の部分で共通点を持った人とのContextな状態が生まれます。
基盤となる文化の違いがあるからこそ、日本人同士の「阿吽(あうん)の呼吸」を超えた居心地の良さを感じる事があります。
海外に「住んでみる」メリットでした!
ローコンテクストな社会のなかで、伝え合う努力をいとわずに築き上げたハイコンテクストな関係こそが、究極のハイコンテクストと言えるのかもしれません。
ローコンテクストな場(=海外など、普段の常識が通用しない場)に飛び込むことで得られる価値は計り知れません。